f21040202〇写本 九六騒動記 全25巻中15巻 14冊 10冊欠 江戸期 大和郡山藩本多家の御家騒動の実録〇和本 注文 古書 古文書

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f21040202〇写本 九六騒動記 全25巻中15巻 14冊 10冊欠 江戸期 大和郡山藩本多家の御家騒動の実録〇和本 古書 古文書
写本 九六騒動記 全25巻中15巻 14冊 10冊欠 江戸期 大和郡山藩本多家の御家騒動の実録〇和本 古書 古文書250x170mm全25巻中15巻 14冊 10冊欠
大和郡山藩本多家の御家騒動の実録。寛文11年に本家の番代となった庶流の本多政勝の死没後、幕府の裁定で本家の政長に9万石、政勝嫡子政利に6万石となるが、抗争となり延宝7年に政長が毒殺される一件。冒頭に本多家家系及び忠勝以来の事績を記す。
本多政勝と政長・政利松平忠明と入れ替わりで、姫路から本多政勝が15万石で入る。政勝の先代政朝(徳川四天王で有名な本多忠勝の孫)には嫡子政長、及び次男政信がいたが、政長はまだ6歳であったため、跡を継がせるわけにはいかなかった(本多家には家訓として幼君に家督を継がせてはならぬという掟があった)。そこで政朝は、従弟の政勝に家督を譲り、政長成長の暁には家督を政長に譲るようにと遺言を残していた。ところが、本来なら家督が巡る機会などなかった政勝は、次第にこの遺言を無視して実子の政利に家督を譲りたいと思うようになった。そこで政勝・政利父子は時の大老酒井忠清に取り入って、自らが家督を継ごうと画策し始める。これを見た本多家の家臣都築惣左衛門は政勝に対して、一刻も早く家督を成長した政長に譲るように要請した。これにより、政勝はしぶしぶ政長を養嗣子と定めたが、政利の家督への野望は断ち切れず、寛文11年(1671年)に政勝が死去すると、即座に酒井忠清に取り入って裏工作を行なった。そして幕府の裁定により、所領15万石のうち9万石を政長が、残り6万石を政利が継ぐようにと命じられた(ただし、政長は郡山新田藩主として領していた3万石はそのまま安堵されたため、合計12万石となる)。この9万石、6万石の分知により、この騒動は「九・六騒動」と呼ばれている。
騒動はその後も続いた。15万石全てを相続できなかったことに不満を抱いた政利は、延宝7年(1679年)夏、政長を毒殺した。これにより政利は政長の9万石をも相続できると思ったのであろうが、幕府の再びの裁定は、政長の跡継ぎである忠国(忠勝の子・本多忠政の外曾孫)が15万石と家督を相続した上で陸奥国福島藩へ移封、政利は播磨国明石藩へ移封というものであった。政利と繋がっていた大老・酒井忠清が、この頃になると権勢を失って失脚していたためであった。そして天和2年(1682年)、政利は政長の毒殺の陰謀などが露見し、所領没収の上で三河国岡崎藩の牢獄に入獄し、同地で死去した。

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